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​アーティクル

愛着障害と精神療法①

 愛着障害に対する精神/心理療法は、事情により欠如した母の愛を、何らかの仕方で埋め合わせることを基本的な原理としている。実母やそれに準ずる本来の愛着対象との実際の関係性を修復できればそれに越したことはないが、必ずしもそれが可能とは限らない。いずれにせよ、その埋め合わせによって世界から受けた過酷な経験を解毒し、統合して、可能ならそこに肯定的な意味を見出すことを目標とする。

 その方法は様々だが、思想・宗教的伝統に照らせば、最も原初的かつ根源的なのはマインドフルネスであろう。これは周知のとおり、禅の要諦を宗教色を排して記述しなおした理論体系であるが、この翻訳を通じて人口に膾炙した結果、今では単に集中力を高めたり雑念を排したりする程度のものと見なされ、精神療法の中でも補助的なものとしてしか触れられないことが多い。

 では、そもそもの禅が目指すところは何かと言えば、経験が言語的・概念的に把握される以前、すなわち主体と客体という自他の区別や、善悪のような分別がなされる以前の、純粋な経験に立ち戻ることである。こうした瞑想・観照は、原始仏教において釈迦が悟りを開いた極めて伝統的な方法であることはもとより、西洋の宗教的伝統においても神秘主義として断続的に現れてきたもので、哲学においてもW.ジェイムズの純粋経験概念が、現象学や、わが国のいわゆる西田哲学へと連なる一分野を築いている。この西田哲学が言語化に挑んだのがまさに不立文字の禅の境地であった。

 そういう境地では、世界と個人が境界なく一体であり、したがって世界から/世界へという方向性も融解した、愛そのものが感じられるという。倫理的に言えば、対立する善悪を超えた絶対善である。その愛の直観が、過酷な欠乏の経験を癒し、統合を促すからこそ、マインドフルネスは愛着障害への処方箋となりうるのだ。

 問題は、そういう経験が極めて特異で、誰にでも得られるものではないということである。実際、浄土教は、これを苦行・難行と位置付けて、これを回避する方法を模索することとなった。精神療法の中で補助的な位置づけしか得られないのも無理はない。ただし、これが最も根源的であって、豊かなインスピレーションの源泉であり、また憧憬の対象でもあり続けてきたことは確かである。​​​​

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